明日は我が身かもしれません(酒井ひとみ)

 わたしは 11 年前から 12 年前に ALS を発病しました。まさか自分 が身体障がい者手帳を使うようになるなんて、考えていませんした。そ の頃はある地方に嫁いでいて、インターネットも今のように、気軽にでき るような環境でもなかったので、東京に戻ったほうが制度のことや情報 も入ってくるのではないかと考えた私は、迷わず生まれ育った江戶川 区に帰ってきました。ですが、他の区で出ている重度訪問の時間数 が、全くこの区では、出ていないことに大変驚きました。

それが、表題の「明日は我が身かもしれません」に続きます。考えてい ただければすぐにわかるかと思いますが、あえて言わせていただきます。自 分のことはもちろんですが、特に家族のことに焦点をあてたいと思います。

わたしは、家族介護のために、家族関係がだめになった家庭をたくさん 見てきました。せっかく一人で暮らし始めた子供が ALS になったり、交通 事故などで頚損になったり、脳挫傷で高次機能障害になってしまった時 に、この区では、一人で暮らしていくだけの時間数さえもらえない現 実・・・。

おそらく、若くして病気や障害を持った患者の親御さんは、まだまだ働 き盛りなのでは?と推測します。4050 代で発症した患者の子どもたち は、2030 代かもしれません。働き盛りの自分の子供たちが、自分の 介護のために、仕事をやめなければならないかもしれません。そのほうが 深刻です。それに夫婦の場合は別れてしまう可能性が増えます。

出生時もしくは幼少期から脳性マヒなどで重度障害をもつ人や、知 的障害を持つご家族の生活も同じです。出生時、幼少期から障害を持 つ子の親御さんは 20 代〜40 代の方も多くいらっしゃるでしょう。子供と 一緒に年齢を重ねるわけですから。親御さんは、働き盛りの年齢から、そ の子が成人をしてからもずっと、社会復帰どころか自由に出掛けることさ えできないかもしれません。介護をしなければいけない負担から逃げたく なって当然だと思います。

すべてがそうだというわけではないと思いますが、重度訪問の時間数を 必要な人に出すようにして欲しいのです。私たち障がい者も同じ人間で す。同じようにヘルパーの手を借りて、生きていこうとするのはそんなにダメなことなのでしょうか? 

江戸川区区議会議員の皆様(矢島貞光)

私は3年前まで施設で暮らしてました。施設では時間通りに決められた生活を過ごしていました。朝6時に起床してました。朝ご飯は8時に食べていました。お風呂は週3回と決められていました。

 

 

江戸川区で自立した生活をしてからは朝はゆっくりになりました。お風呂も買い物の時間も自分で決められるようになりました。24時間ヘルパーと一緒に暮らすのも楽ではありませんが、施設にはもう戻りたくはありません。24時間ヘルパーが使えるように私達に力を貸して下さい。